連載#9 勇ましさと貧しさより

吉野源三郎先生の『君たちはどう生きるか』を読んだことがある人は多いと思う。
何せ、累計で164万部も発行されているらしい。

一方で、私は根っからの天邪鬼で、他人と同じことをするのが妙に苦手がゆえに、名著と知っておきながらも多くの人に読み継がれているこの本を、今日まで意識的に避けてきた。

しかし、最も尊敬している方がこの本を推奨されていたので、これを機にと思い、重い腰を上げて読んでみたのだが、これがまあ面白い。

最初の二章を読んだ時点で、この本は人生のバイブルになることを確信し、同時に天邪鬼であるということを言い訳に、手に取るのを避けてきたことがあまりに愚行であったことを痛感した。

まだ最終章まで終えてはいないのだが、既に自分の心に強く刺さり永く抜けることのなさそうな学びをここに記しておきたい。

二章”勇ましき友”と四章”貧しき友”から2つの学びを紹介する。

勇ましき友 より

”常に自分が心で感じたことから出発し、自分が心から本当に立派だと思うことを為す。”
この重要さを、非常に痛快に気付かされた。


世の中は、たくさんのノイズに溢れている。
それは、深く考えずとも、表面的にこれはノイズだとわかりやすいものもあれば、
一見ノイズには見えず、また誰もがノイズだなんて考えてもいないが、実はそのような万人の共通認識であるがゆえに、反面で個人にとっては非常に強力なノイズであるものもたくさん存在する。

周りが正しいと考えているから。
先生や親、大人がそうだと言ったから。
誰かがそう言っているから。
それが普通だから。

そういった、暗黙知や常識みたいなもので、立派である(正しい)とされていることはたくさん存在する。


もちろん、その中には、私たち自身でも立派であると考えるものと一致するものは多い。
ただ、自分の頭で考えずに、ただ共通認識で立派であると言われているものを、ただ言われたとおりに為していくだけの人は、決して立派な人とは言えない。
世間で立派だと言われているからと鵜呑みにし、結果”立派そうな人”になっていくのは、逆に哀れだ。
(私たちは放っておくと、立派そうな経歴や、膨大な資本や耳触りの良い役職等をもとに、自分は立派なのだと他人だけではなく自分自身も納得させようとする。)


そうではなく、本当に大事なのは、常に自分が実際に心で感じたことや自分が体験したことを起点に、自分の心と頭で本当に立派であると思えることを自分で考えることだ。
中には、常識的には軽視されていることや、誰も考えてすらいないことが、自分の中では非常に立派であると感じることもあるはずだ。

そのようなものこそ、本当に自分にとって大事なことであり、それを為せることが真に立派な人であると言える。

立派そうに見える人ではなく、真に立派な人たれ。

貧しき友 より

仏教の思想では、”存在”に着目し、存在するものだけに意識を研ぎ澄ませることで、瞑想やマインドフルネスを図ると以前とある本で学んだ。

これは、一宗教に閉じた話ではなく、お互いが相互に関係し合う社会的動物である人間が生きていく上で、非常に重要な考え方だと思う。


普段何も考えずに生活を送っていると、世界は自分を中心に回っており、自分の人生は自分の意識と行動によって進んでいくものだと感じることがある。
いや、私たちはほとんどの瞬間をそう信じて疑わずに生きている。


ただ、仏教的思想のように改めて本当に”存在しているものだけ”に焦点を当ててみると、自分はただの世界の分子の一つであり、それ以上でもそれ以下でもないことは容易に理解できる。


自分が自分中心で物事を捉え、自分以外のものは何もかもが世界を構成するただの要素でしかないと捉えているように、他人もまた同じように世界を捉え、その世界の中では自分はその人の世界を構成する一要素でしかない。

そして、仏教的に”存在”のみに焦点を当てて考えれば明白だが、世の中に存在しているものは全て同等の分子であり、
自分と他者のような関係は、そもそも全て実在していないただの幻想に過ぎないのだ。


この抽象的でわかりづらい話をあえて長々と説明したのには訳がある。

それは、自分が今の状態で生きていること(先ほどの仏教的思想を借りれば、”存在していること”)がいかに「有難い」ことであるかを理解するためだ。

ここで言う「有難い」という言葉は
・感謝の意
・有ることが難しい
の二つの意味で用いている。

つまり、自分がその状態で世界に存在していること自体に、”感謝”と”価値”を感じることが大事なのだ。

自分が学校で学業を修めることができたこと。
毎日十分な食事を摂り、安心して眠れること。
病の心配がなく、当たり前のように明日が来ると疑わずに希望を持てること。

このように、自分が今得られている状態、存在自体に「有難さ」を感じることが非常に大切だ。

そして、一方で、自分が享受しているような状況を得ることができない人もいるこの世界に対して、自分はどのように役立つことができるのかを問い、自分が為せることを為していくことが極めて重要になる。

逆に、自分が今の状況になり得たことに対する有難さを考えもせず、むしろそれは自分の実力であると誤解し自惚れ、自分が持ち得ている学や資本などを驕るようなことは、大変愚かな行為であることを、理解しておくべきだ。

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