立志の当初最も慎重に意を用うる必要がある。その工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、しかる後、自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずる所に向って志を定めるがよい。またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要……大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことがあってはならぬ。この両者は常に調和し、一致するを要する。
渋沢栄一 著, 『論語と算盤』(角川ソフィア文庫)
「志高く」
ソフトバンクの孫正義さんが大切にしている言葉として有名な、”志”。
孫さんは志と夢の違いについて、野田一夫氏より学び、以来大きな志をもつことを大事にしているという。
その野田氏の言葉が以下のような内容だ。
“夢”というのは漠然とした個人の願望だ。車を買いたい、家を持ちたいといった夢はみんな、個々人の未来への願望。でも、その個々人の願望を遙かに超えて、多くの人々の夢、多くの人々の願望をかなえてやろうじゃないかという気概を“志”というんだ。夢は快い願望だが、志は厳しい未来への挑戦だ。だから、“志”と“夢”ではまったく次元が違うぞ。“夢”を追うなんて程度の男になってはいかん。“志”を高く持て!
自分個人の漠然とした願望が”夢”であり、その次元を遥かに超えて、多くの人の夢を叶えてやろうという気概が”志”ということだ。
この志の重要性について、深く言及している古典を先日手に取ることができた。
それが、渋沢栄一氏の著書『論語と算盤』である。
本著の”立志と学問”という章の中に、本記事の冒頭で引用した一節が記されていた。
この一節に出会った際に、非常に深い学びを得られ、頭の中でモヤモヤしていた悩みが晴れ渡るような感覚が得られた。
そこで、この一節の私なりの解釈を記録しておきたい。
ここで著者が重要だと明記しているのは、大きく下記の点。
・自己理解を冷静に行なった上で、自分の長所が生きる方向に志を定めること。
・大なる立志と小さな立志を区別し、両者が矛盾しないようにすること。
自分の人生を生きていく上で、自分が何をやりたいのか?自分はどこへ向かうのか?わからず、悩む人は多い。
私自身も、無論、例外ではない。
正直に言えば、常に他人の人生や時の流行りに触発され、数日前に考えていた方向とは全く異なる方向へ何度も梶を切り返しながら、当て所なく彷徨っている感覚を常に持ち合わせている。
そのような中で、この一節に出会って分かったことは、自分の志に向かって進めば良いということ。
他人の人生や意見、時の流行を排除した上で、自分の琴線に触れる方向性を冷静に考え、そこに志を立ててただ前進すればいいということ。
その際、その志は、自分の長所が生きるかを考えておくこと。
この点を守れば、何度も当て所なく彷徨うような人生は送らなくても済む。
志がないから自分の人生を生きれていないだけで、志を定めれば、自分の軸で人生をコントロールできる。
志を立てることん重要性を改めて痛感した。
そしてもう一点。
二つ目のポイントである、大立志と小立志の整合性について。
著者は、大立志は”人生という建築の骨子”、小立志は”その修飾”と説明している。
いわゆる上記で定める自分の人生の根幹になる志は大立志。
その際に枝葉で出てくる志や、時に偶発的に感じる志は小立志といった具合だ。
そしてこの時重要なのが、小立志を掲げる場合に、大立志と矛盾するようなことがあってはならないということ。
つまり、小立志が偶発的に生まれた際に、それを成すことは、自分の大立志の実現に近づく一歩であるか?矛盾しないか?を常に問うことが大事だということ。
ここに矛盾が生じていると、上記のように、何度も梶を切り返しながら暗闇の中を当て所なく彷徨うことになってしまう。
しかし、ここの無人が生じていないことをしっかりと確認できれば、自分の向かっている方向は常に明確であり、自分の人生軸で常に前進することができる。
このように、志を認知しておくことは、極めて重要なのだ。
スティーブ・ジョブスの有名な話に、”毎朝鏡の前で、『今日が人生最後の日であっても、自分は今日やろうとしていることをやりたいか?』と問うている”という話がある。
もし自分が志を掲げ、その志に向かって日々を生きていることができれば、このような高尚に思える問いにも難なく”Yes”と答えられるはずだ。
志高く。