連載#3 “競争”から“共創”へ

“競争”から“共創”へ

これからの世界線における大事なキーワードについて書きたいと思う。

それが、”きょうそう”。

日本語というのは複雑なもので、“きょうそう”という同じ読みに対して、対応する感じは複数あり、それぞれに置いて意味が全く異なる。

今回は、この日本語の深みの恩恵にあやかりながら、二つの“きょうそう”を対比してみたい。

というのも、これまでの社会では“競争”が非常に重要なポジションを持っていたが、これからの社会では“共創”が非常に重要なポジションを持つようになっていく。

(この考え自体は、メディアアーティストの落合陽一さんの著書『超AI時代の生存戦略』にて述べられていた内容であり、それに私なりの解釈を加えて記す。)

人間社会は競争社会であると聞いて、それを疑う人はいないのではないかと思う。

というのも、我々は、生まれてこのかた常に“競争”に向き合い続けて来ている。

幼児期のかけっこから始まり、小学校に入学してからは学力という名の情報処理力を対象に、成績や偏差値で評価され、競争を強いられる。

結果、大競争大会の典型のような受験を迎えることになり、その結果によって個々人に貼り付けられる学歴というラベルは、あたかもその人の人生を大きく左右するような幻想を植え付ける。

(実際、学歴がもつ影響はもちろん存在するものの、それだけで人生の全てが決まるという考えは極めて浅はかだ。)

ここで問題になるのは、なぜ人間はここまで“競争”という概念に囚われ続けて来たのかということである、

答えは思いのほか単純で、限りある資源をもとに、全人類が生きてきたからである。

ここでいう資源というのは、石油やお金などの代表的な資源に限らず、会社の有力なポジションやコミュニティ内での立ち位置(スクールカースト等)を含む広義の資源である。

我々は、この限られた資源からできるかぎり多くの資源を、そしてできる限り優良な資源を自分のものにすることで、自らの人生の点数を上げていくことを求めてきた。

それは、資源に限りがあるからであり、またその資源を用いないと自分の生活が危機に瀕するからだ。

(実際、お金も学力も、コミュニティ内での立ち位置も皆無に等しい人は、生きていくのに相当の苦労をすることは想像するに足るはずだ。)

そこで、学歴や社内のポジションなど、より高コスパで利潤に転換しやすい資源をそれぞれが奪い合う構図が生まれ、それが数多の“競争”を生み出してきたのだ。

しかし、この競争の多くは、近年急速に発達しているAIによって、まもなく終わりを告げられることに気づいている人はどれだけいるだろうか。

AIは、何も考えずに生活をしていると、ただ先端技術の一つにすぎないと見えるかもしれない。

ただ、実際には、人間がこれまで何千年と継続してきた“競争”の多くを解消し、その代わりに“共創”をもたらす、大きな波である。

“共創”とは、共に創ると書くように、文字通り何かを創造していくことであり、その対象は他でもない資源である。

つまり、これまでの資源の奪い合いは終わりを迎え、その代わりに資源を共に創り拡大していくフェーズが訪れる。

そもそもAIによってもたらされる大きな変化の一つは、「究極レベルの情報処理力の民主化」である。

もう少し噛み砕いていうと、「誰もがどの人間よりも優秀な情報処理能力をもった知能を自由に利用することができるようになる」ということだ。

この変化により、これまで我々が血眼になって研鑽を行ってきた学力というなの情報処理力は、Aiの前では一切歯が立たなくなり、無意味化する。

いや、というよりも実はポジティブな意味で、もう研鑽をする必要がなくなるというのが正しい。

今まで何年もの年月をかけて必死に磨き続けてきた苦労をせずとも、AIに頼めば非常に高度な作業も含めて瞬時に実行をしてくれるようになる。

つまり、我々人類は、研鑽をする必要がなくなり“競争”の呪縛から解き放たれる。

では、人類にとって何が重要になるのかといえば、このAIには包括されない非常にニッチな分野で、自分なりの香ばしさを出していくことだ。

AIは、インターネット上に存在する膨大な情報をもとにさて機械を瞬時に割り出すシステムだ。

そのため、どの人類よりも最適な解を導き出すことができる。

一方で、これまで情報として蓄積されてこなかったニッチな分野、詰まるところの未開拓地については、解を出すことができない。

この未開拓地にこそ、我々人類の介在価値がある。

つまり、もう答えが出ることはわかりきっている命題については、AIに任せて自動化してしまい、その上で、まだ答えがわからないけど、自分が興味のある分野に対してリソースを湯水の如く投下していくというのが、スタンダードモデルになる。

そしてこのニッチ分野の開拓においては、“競争”は起こらない。

なぜなら、興味関心というのはその人個人の人生経験よって多様化するものであり、誰一人として全く同じ人生を歩んでいる人は存在しないからだ。(少なくとも、クローン人間がコモディティ化するまでは、この考えは正と言えるはずだ。)

人間は、“競争”のない分野で自分の興味関心に基づいて新しい未開拓地を拓いていく。

そしてこの+αの積み重ねにより、資源は拡大していくことになり、“共創”が生まれる。

これが、AIがもたらす、“競争”ではない“共創”の世界の全体像だ。

もちろん、全てがこの論理通りに実現していくことを断言することはできない。

というよりも、完全にこのロジック通りに行くことはないはずだ。

ただ、間違いなく、AIによる“究極レベルの情報処理力の民主化”は起こりうるものであり、その変化によって、我々の生活が一変することもこれまた疑う余地がない。

この大局的な流れを頭の片隅に入れながら、

「さて、自分は何に興味関心があるのか」

という問いを自問自答しておくのも、早すぎることはないのではないかと思う。

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