連載#16 人類はなぜ、何千年も同じ問題を解き続けているのか。

どうしてだろう。
どうして、人類は同じ問題をずっと解き続けているのだろう。
何千年も前にすでに人類が向き合っていた問題に、どうして今も向き合い、その問題を解けずにいるのだろう。


記事を執筆中の2024年10月26日現在、今私が住んでいるこの日本という国では、翌日に国政選挙を控えている。
各政党や政治家が掲げるマニュフェストが、オンラインorオフラインを問わず、あらゆる場所に飛び交っている。

そこに現れる各政治テーマを眺めて、やはりふと思う。
「この問題、いつになったら解けるのだろうか? 本当に解けるのだろうか?」

現代の日本の政治に幻滅をしているわけではない。
(いや、しているのかもしれないが、この疑問はそのような目先の現象の話ではない。)
もっと、抽象度高く、目の前のこの現象の背景にある構造を考えてもなお、そう思うのだ。


“この国は、民主主義国家だ。”
“国民主権で、選挙における投票によって政治は動かせる。”
“政治家は、私利私欲のために政治を腐敗させるかもしれない。”
“腐敗しない政治制度を考えなくてはいけない。”

“ある国が、隣国に侵攻した。”
“ある地域では、宗教や歴史、その土地とのつながりを背景に、それぞれの国が自らのロジックを守るために戦争を始めた。”
“もしかしたら、あの国が、数年以内にどこかに侵攻するという噂がある。”
“各国が、戦争ではなく、もっと平和的な方法で、お互いの論理を理解し合う方法を考えなくてはいけない。”

“経済的な格差は拡大している。”
“豊かな人が多くの富を抱え、貧しい人は搾取されどんどん貧しくなっている。”
“富が適切に再分配される方法を考えなくてはいけない。”
“皆が豊かに暮らせるシステムを考えなくてはいけない。”


今、私たちが、この国が、この世界が向き合っている問題は、実はこれまで既にいつかの時代の人類がすでに向き合ってきた問題だ。
古代から民主主義は社会に実装され、社会契約論などをはじめとした非常に高度な思想が生み出されてきた。
世界のあらゆる場所で何度も血が流れ、その度に平和条約を結び、国際機関もつくってきた。
貨幣が発明されてから、資本論などをはじめとして、資本主義の仕組みやその弱点については何度も議論が行われてきた。

それでも、私たちはこの問題をまだ解けずにいる。
気づけば、問題に出会ってから何千年という月日が流れている。

なぜ、解けないのだろうか。
いつまで、解き続けるのだろうか。


解くことが正解なのだろうか。
そもそも解けない問題なのではないだろうか。
解けないけど、問題を少しずつ小さくしていくことはできるのではないか。
解こうとするそのプロセス、に人類は意義を感じているのではないだろうか。
人類は、解けないのではなく、解かないのではないだろうか。

人類はなぜ、何千年も同じ問題を解き続けているのか。

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