連載#14 写真とアニメーションと現実の関係性

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写真

写真を撮った。
仕事からの帰り道に、ふと海の写真を撮りに行きたくなった。
「明日は土曜日、海の写真を撮りに銭函に行こう。」
ふと衝動的に決意した。

9月の下旬に差し掛かり、僕が住んでいる北海道札幌市はかなり肌寒い日が続くようになったからかもしれない。
ふと、夏の終わりの儚さのようなものを感じて、夏の象徴である海の写真を残しておきたくなった。

翌日、雨が降るほどでもないけど、空一面のほとんどが雲に覆われている曇天の中、カメラをぶら下げて一人銭函に向かった。

その時の写真がこれ。

真っ青な夏らしい空を一緒に写真におさめることはできなかったけど、それがまた逆に、夏の終わりであることを突きつけてくるようで、案外悪くなかった。
写真は、その時自分が見た風景を鮮明に記録してくれる、とても風情のあるツールだと思う。

昔の写真を見返すだけで、さっきまでは記憶の奥底に眠っていた感情や記憶がブワッと蘇ってくる。
自分が忘れたくないと思った風景や人を、大事に残しておいてくれる。

動画も好きだけど、流れる時間の一瞬だけを切り取った写真の儚さみたいなものも、またすごく風情があって好きだ。

アニメーション

久しぶりにアニメーションの映画を見た。
新海誠監督の作品『天気の子』。
やっぱり素敵だなと心を打たれて、8年ほど前、当時高校生だった時に友人と映画館で見た『君の名は。』も見た。
やっぱり素敵だった。

アニメーションは、写真とは正反対の魅力と写真と同じ魅力の、双方を持ち合わせていると思う。
写真と正反対であるのは、アニメーションはすべて”創作”であるということ。
もちろん、実際に存在する風景を描いていることもあるし、ストーリーに関してもフィクションもノンフィクションも両方存在する。
ただ、アニメーションそれ自体はすべて創作の結晶。
リアルを切り取った写真とは違い、現実にはないものをこの世界の中に新しく作り出している。
この、”現実の拡張”ともいうべき性質がアニメーションのもつ魅力の一つだと思う。
(写真も同じように表現すれば、写真は”現実の複製”という性質になる。)

一方で、アニメーションと写真の間には共通する魅力も存在する。
それがさっきの”記憶”という性質。
写真を見た時に、その時の感情や思い出が蘇ってくるように、アニメーションを見た時にも、自分の中で過去の感情や記憶が蘇ってくることがある。
ただ、面白いのは、アニメーションで描かれている世界自体は自分が体験をしているわけではない創作の世界であるということ。
それなのに、僕たちはアニメーションを見た時に、何か自分の過去の記憶が溢れ出してくる。
それはきっと、そのアニメーションで描かれている風景や感情と極めて近しい記憶が自分の中に存在しているからだと思う。
そう考えると、僕たちはみんな全く異なる人間同士なのに、結構似た経験をしているのかもしれない。
はたまた、アニメーションを作成されている方々が、極めて高度な洞察と表現力で、多種多様な僕たちの人生の最大公約数をピンポイントで表現しているのかもしれない。

どちらにしても、人が創り出した新しい世界が、僕たちが実際に経験した世界とつながるなんて、すごく神秘的で美しい。

海の写真を撮って、夏の記憶を起こしておこうと思った日。
アニメーションを見て、過去の記憶が溢れ出してきた日。

こんな日を過ごして、現実の複製である写真も、現実の拡張であるアニメーションも、どちらも素敵だなとしみじみ思った。

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