連載#13 アルゴリズムにより最適化されたコンテンツは、僕たちに便利さと心地よさをもたらし、偶然性を剥奪する。

SNSをはじめとしたネットコンテンツは、凄まじい精度で僕たちに個別最適化されている。
実際に、今手元でYouTubeやInstagram、TikTokを開いてみる。
そこに出てくるコンテンツは、これまで自分がよく見ていたアカウントや、そのコンテンツに似通った自分にとって魅力的なコンテンツばかりだ。
YouTube以前は、テレビが動画のメディアのほとんど全てを牛耳っていたが、最大でもチャンネル数は12個。
この12のチャンネルをザッピングしながら、その時間に放送されている動画の中で自分の一番好みのものを探し視聴するのが常識だった。

しかし、現在インターネットの発展と高精度なアルゴリズムにより、僕たちはいつでもどこでも、自分が好きな動画やコンテンツをすぐに見れるようになった。
インターネットが、便利さと快適さをもたらした。

一方でその反面、僕たちは気付かぬうちに、あるものを奪われている。
その一つの代表格が、”偶然性”なのではないかと思う。

わかりやすいように、僕が実際に昨日体験した実話を例として紹介したい。
僕はU-NEXTで欧州のサッカー中継を見ていた。
試合が終わり、何気なくU-NEXTから離脱したところ、TBSの情熱大陸がたまたま画面にうつった。
普段ならすぐにデバイスの電源を落とすか、他のコンテンツを探すのだが、この時は手が止まった。

昨夜の情熱大陸では、ケニアで障害者支援施設を運営している日本人医師が特集されていたのだ。
僕自身、実は最近アフリカ諸国等の途上国における、社会的意義の高いソーシャルベンチャーの活動などにかなり関心を高く持っていた。
そんな最中、この情熱大陸の放送まではキャッチできていなかったのだが、たまたまTBSのチャンネルボタンを押したことで、自分が非常に関心を持っている分野のコンテンツに出会うことができた。
結局、僕はこの放送を最後まで視聴し、非常に満足度の高い体験を享受することになった。
さらに、思いもよらない出会にちょっとワクワク僕は、他の番組も軽くザッピングしてみた。
するとNHKで、仏教×botの取り組みや、蟻が話している”アリ語”に関するコンテンツが放送されており、一気に興味を惹かれた。

これが昨夜僕に起こった出来事だ。
この時に僕は思った。
自分が好きなコンテンツばかりが見れるのも便利だが、期待も予想もしていないコンテンツと出会う偶然性もまた美しい、面白いと。

そして、ここ数年便利が故にネットコンテンツばかりに浸ってきた僕は、この偶然性がもたらす新しい学びや気づき出会いの多くを知らず知らずのうちに失ってしまっているのではないかと思った。


この便利さや快適さと引き換えに偶然性を失うことは、実は僕たちの多くが抱えている非常に大きな社会課題につながっている。
その社会課題とは、「生きるの意味に対する貧困」だ。
現代人の多くは物質的には豊かになった一方で、生きる意味を失っている。
物質的に貧しかった時代は、物質的に豊かになること自体が生きる意味となったので、このような問題は起きなかった。
ただとにかくお金を稼ぎ、経済を成長させ便利なものを増やしていけばよかった。

しかし物質的に豊かになりきった今の僕たちの多くは、何を目的に生きていくべきなのか?を見失っている人が極めて多い。
このような社会課題が起きている中で、上記のように”偶然性”を失ってしまうことは、この課題をさらに深刻化させてしまいかねない。
なぜなら、個別最適化され似通ったコンテンツとしか出会い続けられないアルゴリズムの渦に飲まれてしまうと、新しい世界や視点につながるきっかけが閉ざされてしまうからだ。
こうなると、自分から見えている世界は、全世界のほんの一部に閉じてしまう。
そしてその狭い世界の中から、人生の意味を見つけ出すという極めて難易度が高い状況に沼ってしまうのだ。

また、どれだけ自分が満足しているコンテンツや分野があったとしても、何かの拍子にそのコンテンツに対するつながりが消える(興味がなくなる、コンテンツ自体がなくなる)ような自体が起きた場合には、真に人生の意味を見失ってしまうかもしれない。

つまり、アルゴリズムによってもたらされた、便利で心地よい世界は実は極めて脆弱性の高い世界なのだ。



そこで、僕はやはり”偶然性”を重視し、時には意図的にそのような出会いを作り出していくことが極めて重要だと考えている。
そのためにはどうずればよいか。
いろいろな答えがあるだろうが、一つは、あえて不便な状態を作るということだと思う。
例えば、あえてコンテンツ量が制限されているテレビやラジオを適当に流してみるとか。
はたまた、通勤通学時の電車の中で、スマホの電源を切ってみて、中吊り広告や周りの人間、窓から見える風景、さらには車内の手すりの錆なんかに目をやってみるのも、偶然性を作り出すきっかけになる。

世界は間違いなく便利になっている。
ただその反面で知らず知らずのうちに、何か大事なものを失っていないか。
あるいは奪われていないかを問いただしてみることが大切だ。

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