壮大なテーマに地道に向き合う
何もかもが目まぐるしく変化するダイナミックな時代に、それでも”遅いもの”の真価を見つめ直すことは極めて重要な気がする。
情報化によって、あらゆる情報が高速で飛び交い、その情報の加速によって、人間のあらゆる行動も一気にテンポアップしてきた。
例えば、私が今書いているこの記事も、数百年前の日本(江戸時代くらい)で同じようにたくさんの人に文章を届けようとすると、人生のすべての時間を投下しても一記事を全人類に届けることはできなかった。
筆と墨で文字を書き、それを全人類分複製するか、または書き上げた文章を全員に回覧してもらう必要があり、これは極めて非現実的だ。
一方、今はキーボードを叩きながら数十分間で思ったことを文字にして、WordPress経由で公開ボタンを押せば、世界中のすべての人に、記事を公開することができる。
このスピードの加速度は、おそらく数字にしたらとんでもない数値を叩き出すはずだ。
このように改めて考えてみると、インターネットをはじめとするテクノロジーの進歩によって、私たちの生活は恐ろしいほどに高速化しているのである。
この高速化は、事業やビジネスに対しても同様の影響を与えている。
例えば、事業を作ると考えた場合に、やはりITに軸足を置いた産業は立ち上がりも成長も早い。
今でも、日々新しいサービスがリリースされて、世の中にはITサービスが乱立している。
近年だとSaaS系のサービスの人気が目覚ましく、本当に数え切れないほどのSaaSサービスが存在している。
一方で、それらのサービスは果たして本質的に必要なのか?と言う点にかなり疑問を抱かざるを得ないのもまた事実だ。
例えば、勤怠管理サービスなどについても、汎用性の高い一般的な勤怠管理サービスだけでなく、保育業界, 飲食店など業界ごとに特化した類似のサービスが乱立している。
これは、競合が増えることでマーケットが健全化されると言う観点ではいい傾向であることは間違いがないが、それにしてもやたらに通ったサービスが多くてかなり煩わしい気もする。
もっと言うと、特に重要性が高くないがある程度の利益が得られるマーケットを探しては手当たり次第そこに新サービスを立ち上げると言う、限られたパイの奪い合いをしているような気がしてならない。
これは、全くもってダメというわけではないが、個人的にはそれは人生を賭けて取り組むべきテーマであるとも思えず、少し残念な気がしてしまう。
とはいえ、これもITならではの”速く進む”という性質が、このような現象を起こしているのだ。
一方で、このような状況下でも、取り組むのに非常に時間を要するテーマというのは存在している。
例えば、世界の貧困問題や、宗教, 民族間の対立, 環境問題, 人口の調整局面などといったものだ。
私個人的には、このどうしても長く時間がかかり地道に取り組まなければいけないテーマこそ、人類にとって重要で取り組む価値のあるものだと思う。
特に環境問題などは、これまでの人類史上比にならないほどの規模に経済が爆発し、同時に地球という我々の唯一の棲家に対して莫大な負担を強いている現実から、解決を急がなくてはいけない超重要命題の一つだ。
この課題を期日までに解くことができなければ、おそらく人類と地球の共存は不可能で、そう遠くない未来に間違いなく終わりを迎えてしまう。
このような重要テーマを蔑ろにして、短期間で実現できる目先の小さなテーマを形にして人生を上がってしまった感じになるのは少しというかかなり勿体無い気がする。
とはいえ、私自身も、何がしかの完成品を作りたいという焦燥感にかられて、とりあえず形にできそうな小さなテーマに必死になったことが何度もあるので、偉そうな口を叩けないのは承知の上だ。
ただ、私が今思うのは、一度きりの人生であるのだから、小さな目先の利益で満足するのではなく、自分が心から関心を持てる壮大なテーマに挑戦してみようよということだ。
たとえ、そのテーマに取り組むみち半ばでくたばってしまったとしても、別に恥じることもなければ誰かが笑うわけでもない。
むしろ、そのテーマが人類にとって重要なものであれば、果敢に挑戦したそのプロセスは人生の成果物として後世に受け継がれ、また自分の中でかけがえのない経験/思い出として墓場でも振り返れる財産になるはずだ。