連載#12 モデルケースを持つこと

”憧れの存在。理想的な人。尊敬する人物。嫉妬してしまうようなライバル。”

このような様々な要素を含蓄しているのが、”モデルケース”という存在だ。
多くの人がご存知の通り、一度きりの人生の中で自分の志を実現していくためにモデルケースとなる人物を見極め、参考としていくことは極めて重要かつ効果的だ。
自分の志の実現に対して、どのようなスキルや知識、アクションが必要であるのかを分析するのに、モデルケースという具体例を用いることで得られる学びは極めて多い。
そのため、自分の心の琴線に触れるような人物がいた場合は、その人がこれまで何を考え、何を目的として、どのような行動をとってきたのかを、調べてみることは志の実現い近づくための大きな助けになるはずだ。

一方で、このモデルケースという非常に尊い存在が、ときにはネガティブな影響を与えうることも同時に留意しておいた方がいい。
なぜならば、あまりにも尊いモデルケースを目の前にしたときに、人はそのモデルケースと自分というオリジナルな存在を極限まで近づけようとしてしまうからだ。
もちろん、先述の通りモデルケースを参考として、同じようなアクションや思考を取り入れていくことは極めて重要だ。
しかし一方でそれが行き過ぎ、そのモデルケースと”同じようになろう”…、いや、さらに行きすぎた場合には”同じでなければいけない”と考えてしまうことがある。
このケースこそがモデルケースが与えうる弊害だ。

このような思考になってしまうことも最も大きなデメリットは、自分の個性(アイデンティティ)を失ってしまうことだ。
少し考えてみよう。
仮にモデルケースと全く同じ人生を再現することができたとした場合に、そこには何が残るであろうか。
そこに残るのは、かつてすでに誰かが歩んだことがある道をただなぞってきたという、模倣された人生と1人のコピー人間だ。
そこにいるのは自分であり、また自分でない存在だ。

このように言語化すると極めて分かりやすいが、誰かがすでに通っている道を全く同じように歩んできた人生には、果たしてどれほどの価値があるだろうか。
もちろん個人の価値観によって異なるので、絶対的な断定はできない。
ただ、予定調和ですでにエンディングまで見えきっている人生は、試行錯誤と偶然性の掛け算で紡がれるオリジナルな人生よりもつまらないことは確かだろう。

つまり、モデルケースを持つこと、そして参考にすることは非常に効果的だが、一方で同時に、モデルケースという存在に縛られ、不確実であるからこそ美しい人生を、予定調和というつまらないものに貶めてしまわないよう気をつけなければいけないということだ。


”いい大学に行くことが望ましい、有名な企業に就職することが望ましい、高給取りになることが素晴らしい、適齢期に結婚することが望ましい。”
具体的なn=1のモデルケース以外にも、世の中には暗黙のモデルケースが蔓延している。
このような潜在的なモデルケースに縛られないことも、同時に重要だ。

また、最後にもう一つ言及しておきたいのが、”人生は人によって異なり、その両者間に優劣はない”ということだ。
例えば、20代で大企業の社長になる者もいれば、還暦を迎えてから新しい挑戦をして大成する者もいる。
平均年齢を大幅に上回った長い人生を送る者もいれば、若くして人生を終える者もいる。


まとめると、健在的あるいは潜在的なモデルケースや他人の人生に縛らず、自分のオリジナルな人生を送ることが重要だ。
繰り返しになるが、自らの試行錯誤と偶然性の掛け算で紡がれる自分だけの人生こそが、本当に美しいのだから。

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